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田園・水辺空間満喫ルート

 •本ルートの走行距離は約21km、純走行時間は約2.5時間ですが、神社仏閣などをゆっくり観て回ると5,6時間かかります。

 •留意点としては、チェックポイントの神社仏閣の標識がほとんどありません。あらかじめマップでルートを確認してお進みください。

 •またこのルート上には、コンビニ、食堂などがほとんどありません。トイレも少ないので、ご注意ください。

スタート地点

印旛日本医大駅

 千葉ニュータウンの最東部に位置し、北総線と成田スカイアクセス線が乗り入れています。北総線としては、当駅が終点です。駅舎には展望台があり、その独特の外観から「関東の駅百選」(平成12年(2000)選定)に選ばれています。

 

 

・萩原(はぎわら)公園 (トイレあり)

 

 ロング滑り台、フィールドアスレチック、芝生広場、テニスコートなどがあり、園内には緑豊かな自然環境が広がっています。「風と緑を感じる憩いの場」として、広く地域の人に親しまれています。

 

・萩原鳥見神社(はぎわらとりみじんじゃ)

 

 鳥見神社は萩原鳥見神社以外に印西市、白井市に17社あり、あわせて俗に「鳥見18社」と呼ばれています。『常陸風土記』に記されている「下総国印波鳥見丘」は、この萩原鳥見神社であるという説があります。本殿には多彩な彫刻が施されており、他に子安神社、大山阿夫利神社などが祀ってあります。

 

 

・慶昌寺(けいしょうじ)

 

 周りを緑に囲まれた曹洞宗の寺院で、明応元年(1492)に太清全真和尚により開基。阿弥陀如来を本尊とし、静寂な境内には多くの石造物と、印旛七福神のうち大黒天があります。梵鐘や子授け安産の千手観音菩薩、厄難身代わりの童形地蔵菩薩が奉安される観音堂や筆塚があります。印西大師57番札所があります。

 

 

・蘇波鷹(そばたか)神社

 

 蘇波鷹、側高、曾羽鷹、祖羽鷹、素羽鷹などと書く神社は、桓武平氏良文流で、古代末期から中世、戦国時代末に至るまで関東の豪族として栄えた千葉氏との関連が深いようです。この神社も千葉氏の家臣が城主であったと言われる中世の城館跡の一つである笠神城跡の南部に位置しています。

 神社は、小高いところにあり、木々に囲まれた境内です。また、境内には庚申塔、阿夫利神社、青面金剛尊があります。

 

 

・東光寺

 

 真言宗豊山派のお寺で、不動堂(成田山碑)、仙元宮、三界萬霊塔、庚申塔、二十三夜塔、虚空蔵観世音菩薩碑などがあります。古くて赤い山門があり、歴史を感じるお寺です。印西大師84番札所があります。

 

・水塚(みづか)

 

 水塚とは、関東地方低地部で洪水から住宅や生活用品を守るために、平地より高く土を盛り上げ、土蔵・住宅などを建てたものです。そのため、現在もこの辺一帯の住宅は盛土の上に立ち並んでいます。さらに、場所によっては敷地の一部を一段高くして土蔵をつくり、非常用の備品を用意し、また氾濫時には母屋からこの土蔵へ荷物を運んでいたと言われています。これは、木曽川の輪中にみられる、水屋と同様の機能を持っています。

 *個人宅にあるため、中には入れません。 

 

 

・本埜(もとの)白鳥の郷

 遥かシベリアから毎年冬にやってくる白鳥の飛来地となっています。水を張った水田に500羽を超える白鳥が優雅に泳ぎ、来る人の目を楽しませてくれます。地元の「本埜白鳥を守る会」のみなさんの手厚い保護により、一時は1,000羽を超える群れが越冬に訪れていました。

 

・水神社(すいじんじゃ)

 

 創建は不詳。日本神話に登場する灌漑用水の神、井戸の神として信仰され、祈雨、止雨の神得があるとされる水波賣命(みづはのめのみこと)を祀っています。小さな社殿(本殿)は亜鉛板葺一間社流造で、明神鳥居、手水鉢があり、神紋は屋根のグシに「左三つ巴」があります。

社殿周囲の白木には詳細な彫刻「朝日拝む老夫婦の図」などが配置されており、境内には、石柱、庚申塚などが祀られています。

 

 

・酒直(さかなお)水門・酒直機場

 

 印旛沼の水は、農業用水、工業用水及び水道用水として使われている貴重な資源です。

 このための印旛沼の水が安定的に取水出来るように、水位が一定に維持されています。この水位調節の施設の一つが、長門川と北印旛沼の取り付け部に位置する酒直水門と隣接する酒直(揚水)機場です。とくに酒直水門は、長門川および印旛沼の魚の交通路となる魚道や、船のまま沼へ出入りできる運河もあり自然のあるがままの姿を生かしている珍しい水門です。

・印旛沼の歴史

 江戸を水害から守るため、承応3年(1654)利根川の流れを江戸湾(現在の東京湾)から銚子の太平洋に変えた、いわゆる、「利根川東遷」が行われました。この転流により、印旛沼は、以後過酷な水害の歴史を繰り返すようになりました。そこで、亨保9年(1724)下総国平戸村の農民染谷源右衛門などが、次いで天明6年(1786)幕府老中田沼意次が、さらに天保11年(1840)幕府老中水野忠邦が、治水・干拓工事などを行いましたが、いずれも資金難や政変などにより完成をみず、昭和初期まで水害に悩まされ続けました。そこで昭和21年(1946)以降、洪水排水と干拓事業、さらに土地改良事業を併せた「印旛沼総合開発事業」が実施され、昭和44年(1969)に終了しました。

 

 

・北印旛沼と自転車専用道路

 

 北印旛沼と西印旛沼は、合計面積11.55㎢を誇る県内最大の湖沼です。もともとは“W”字型をしていましたが、戦後の干拓により北印旛沼と西印旛沼に分かれました。冬になると印旛沼周辺には白鳥が飛来することがあります。

沼沿いには水と緑に満ちたサイクリングロードが整備されており、野鳥のさえずりが聞こえる爽やかな空間になっています。また、自然豊かな風景の中に成田スカイアクセス線の雄姿が見られます。

 

 

・吉高(よしたか)揚排水機場

 

 印旛沼で千葉県が管理する揚排水機場は8か所あります。その灌漑面積は、約4000haであり、県の重要な農業施設となっています。その揚排水機場の1つである吉高揚排水機場は、昭和42年(1967)に完成し、印西市・栄町に広がる水田約500haへ必要な水を供給する働きと、周辺約1600haに降った雨などを印旛沼へ排水する機能を持っています。

 

 

吉高(よしたか)の大桜

 

 畑の中にある株立状の独立木で、根元は周辺より1mほど高い塚となっており、所有者の氏神が祀ってあります。枝にびっしりと綺麗な花をつけた一本桜の姿は、見る人の心をひきつけます。

 昭和56年(1981)10月15日に印旛村(当時)の天然記念物に指定されました。

樹種:ヤマザクラ

樹齢:300年以上

根回り周囲:6.65m

樹高:11.7m

枝張り最大幅:24.5m

花期:4月中旬

・松虫寺(まつむしでら)(トイレあり)

 

 真言宗の寺院で、天平17年(745)に行基によって開基されたと伝わっています。本尊は、国の重要文化財に指定されている七仏薬師如来で、33年に一度開扉されます(最近では平成24年(2012)に開扉)。松虫姫伝説でも知られています。その門前には、幹回り8.6m、樹高12mのスダジイがあり、この木は印西市内で一番幹回りが大きい巨木と言われています。

 木々に囲まれ落ち着いた雰囲気の中にある境内には、松虫姫神社、六所神社があります。

 また、6月にはあじさいの花が美しく境内を彩り、訪れる方からあじさい寺とも呼ばれています。昭和58年(1983)に房総の魅力500選に選定されています。

<松虫姫伝説>

 

 奈良時代、聖武天皇の皇女松虫姫が不治の病にかかりました。ある夜、姫の夢枕に薬師如来が現れ、「われは下総の萩原の出戸の薬師である。汝の病もわれのところへ来て祈れば平癒しよう」と告げられます。天皇は姫を下向させ、数年の間、村人に機織りや蚕の買い方などの都の文化を教えながら祈願を続けたところ病は治りました。

 天皇は大変に喜ばれて都から大工を遣わせて一寺を建立しました。寺は姫の名をとって松虫寺と名付けられ、この地も松虫と称するようになりました。

 現在、寺には姫が持っていた杖が根付いたという「御杖の銀杏」、都で亡くなった時に分骨して埋葬したといわれる「松虫姫御廟」、近くには姫の乳母の墓といわれる「姥塚」、姫を都から乗せてきた牛が残されることを悲しんで近くの池にもぐって死んだと伝えられる「牛むぐりの池」が残されています。

印旛日本医大
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萩原鳥見神社
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